庖丁式といただきます





みなさん、庖丁式(ほうちょうしき)ってご存知ですか?

和食がユネスコ無形文化遺産に登録され、世界的に日本食がブームとなっていますが、私達が受け継いで来た日本料理〜和食にはとても深い歴史と伝統があります。

その一つが庖丁式です。

この庖丁式は単なる調理作法の儀式ではありません。平安時代初期、第58代光孝天皇の勅命により、魚などの生き物だけでなく、穀物などのいのちに感謝するための儀式として定められました。
すべてのいのちに感謝を捧げる儀式、それが庖丁式です。

光孝天皇は大変な料理好きで自ら料理の素材を採取し、かまどの前に立ち料理の腕を振るうほどでした。以下、庖丁式ができたいきさつを「歴史の中の日本料理」(四條隆彦・著)から抜粋させてもらいます。

光孝天皇は、四篠山蔭卿と話しをしている中で、自分が料理を行うのにさいし、さまざまな命を奪っていることにこころを痛めている事、とはいえ、人間も食事をしなければ生きていけないということを相談し、その上で、食べ物に使われる素材のすべての命に感謝を、そして祈りを捧げるという意味において、庖丁捌きの掟を定めるように命じられたのです。
ここでいう「命」とは、魚などの命は当然のことながら、光孝天皇は植物にも成長するということで命を感じられており、その植物の命に関しても同様に感謝をささげるということを考えていらっしゃったのです。
要するに、自分が生きて健康でいられるのは、食事をしているからであり、その食事をしているということに関しては、動植物全ての命をいただいている上に自分の健康や生命が生かされているということをお考えになられたのではないでしょうか。(中略)庖丁式は、光孝天皇の御前で行った後、「料理・食事は万人に共通のことである」として、一般で庖丁式を行うことをお許しになられました。
(振学出版・歴史の中の日本料理  四篠隆彦著)

自分が健康で生きていられるのも食事のいのちのおかげであるという考え方は、昔も今も変わらない大切なことだと思います。

そして、こうした儀式が1200年前にできていたことに驚きを感じると同時に、この儀式に「いただきます」の原点を感じます。何千年と受け継がれてきた私たち日本人の素晴らしい精神性を感じながら、ごはんの前には感謝の気持ちで「いただきます」といいたいものですね。

余談ですが、なぜいろいろな伝統行事や茶道、華道などには作法があるのだろうか?と素朴な疑問を持っていました。先日茶道のある先生に聞いた所、「作法があることで、国や言葉が違っても、その道を垣根無く共有することができる」という話しを聞いてなるほどと思いました。

最後に、小倉百人一首に収められている光孝天皇の和歌です。自らの料理の素材を採りにいったことを詠ったもので、本当に料理が好きだったみたいですね。

君がため 春の野に出でて 若菜摘む 我が衣手に 雪はふりつつ

(包丁式 四條祭・Youtube・zushiflashさんの投稿を共有させてもらいました。)

庖丁式関連ページ:http://ja.wikipedia.org/wiki/四条流庖丁道 (ウィキペディア)

高家神社(たかべじんじゃ):千葉県南房総市(旧千倉町)に位置する神社で、日本で唯一料理の神様を祀っている。毎年、10月17日、11月23日に庖丁式が行われています。11694895_804113549702587_5923119654827974636_nphoto by Sumie Matsuda

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